世代を超えて「わたす」ストーリー

有限会社竹鶏ファーム

志村兄弟の決意

東京でサラリーマンをしつつも、いつかは地元に帰ってこようと話してきた、竹鶏ファームの志村兄弟。ちょうど東日本大震災の頃に、辞表を出して決意した弟・竜生(りゅうき)さんが「先に戻っているから後から来て」と地元へ、その間東京で販売などの実力を上げた兄・竜海(たつみ)さんも、後に帰ってきました。今では、竜生さんが社長としてリードし、竜海さんが副社長として販売の可能性などを広げています。

始まりは、60年程前。戦後、食糧難の時代に、卵は栄養価も高く重宝されたため、庭先で養鶏をする人が増えていました。そんな中、曾祖父の代から養鶏を始め、祖父の代でさらに大きな養鶏場に育てていき、父の代で「竹鶏物語」という商標登録をしたブランド卵を生み出すまでに発展。また、社名もそれまでの「志村養鶏場」から「竹鶏ファーム」へと変更しました。

ブランド卵「竹鶏物語」が誕生するまで

ブランド卵を生み出した理由について、その当時ブランド卵が次々に生まれてブームになっていたこともありますが、父親の「卵は生活に欠かせないもの。価値を守るためにも、ブランド卵にしたい」という想いがありました。一方、国道4号線沿いに立地し、畜産業特有の臭いが周辺で懸念されているという課題もありました。そこで、周辺地域にも愛される卵を育てるために、目を付けたのが「竹炭」でした。

その当時、竹炭づくりもブームになっていたので、実際に近隣の竹林から竹を伐り、炭窯で竹炭をつくるところから挑戦。その竹炭を鶏のエサに混ぜたり、竹炭でろ過した水を飲ませたりし、臭いの軽減を図りました。すると、臭いの問題は徐々に改善されていき、そればかりでなく卵自体の味も良くなっていったのです。程良い色味で臭みのない濃厚な味わいの黄身、きめ細かく泡立ちの良い白身という特徴を持ったブランド卵「竹鶏物語」が誕生しました。

日本で一番、ありがとうの“わ”が生まれる
養鶏場を目指して

そうスローガンにうたう、竹鶏ファーム。地域に愛されるために取り入れた竹が、結果的にたくさんの人々の食卓を幸せにしてくれる卵に発展させてくれました。代から代へと受け継がれていく想いや新たな挑戦、そして周辺地域や卵を求めるお客様との関係性全てが「物語」となって、循環しています。

新たにスイーツや商品を開発し、百貨店や都内のブランドショップでも取り扱われるなど、志村兄弟の活躍によって更なる進化を続けている竹鶏ファーム。彼らの織り成す物語は、まだまだ末永く続いていくことでしょう。

世代を超えて「わたす」ストーリー

庄子農園

こだわりがないのがこだわり

仙台市内にある、庄子農園。家庭でも使いやすい定番野菜を作りたい庄子勲さんと、あまり馴染みのない変わり野菜を育てたいさおりさんのご夫婦で、多種多様な野菜を育てています。一時期は扱う野菜が100種類程になったといいますが、現在は少し調整して80種類程に。「夫婦でバランスをとっているのではなく・・・せめぎ合いですね!」とお互いに笑い合います。

野菜の育て方には「こだわりがないのがこだわり」だという庄子さんご夫婦。とはいえ、季節に合った旬の野菜や採れたてで鮮度の良い野菜を美味しく食べてもらいたいという想いで、日々畑に足を運んでいます。

自分たちの“農業”を見つけるまで

代々続いている庄子農園の長女であるさおりさんは、大学卒業後に就職。当時から交際していた勲さんは、農業機械関係の仕事をしていました。ある時、ご両親から農業をやらないかと声をかけられ、勲さんが婿入りすることに。そこから約5年間、両親の元で修業しながら働きました。6年目からは同じ「庄子農園」を名乗りながらも自立し、畑の管理やその販路などを独自に事業展開。ご夫婦で、地域密着型の農業に挑戦していきました。

しかし、地域のオーダーに応え過ぎると、本当に食べてもらいたい状態の野菜を届けることができなかったり、続けるのが難しくなる程自分たちのペースが乱れてしまったりと、苦労もたくさんあったといいます。そこで、自分たちが作りたいものを自分たちが届けられる範囲で鮮度の良いまま提供できるよう、ライフスタイルに合った農業経営を大切にするようになっていきました。〈わたす日本橋〉に提供されている野菜たちも、毎週その時期の旬である庄子農園の20種類程の野菜リストからキッチンスタッフが厳選し、鮮度の良いまま提供できるようにしています。

親から学んだこと、親にお返ししたい目標

庄子さんご夫婦は、震災やコロナ禍で物価が高くなりがちな中でも、野菜を求める人たちに求めやすい価格で野菜を提供し続けてきました。それは、地域を大事にするご両親の姿勢から「野菜を求めるお客様に正直な価格設定を心がける」ことを学んだから。消費者の皆さんとも支え合いながら続けてきました。

「最初は親に支えてもらって、その後独立して両親の事業と刺激し合いながらも今のスタイルができて。これからは、高齢になってきた両親を支えてあげられる側になりたい」と目標を語ってくれたお二人の育てる野菜たち。「こだわり

庄子農 園

〒982-0032 宮城県仙台市太白区富沢4-5-13
TEL/022-245-5806

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たみこの海パック

復興は、漁業の再生から

たみこの海パック代表の阿部民子(たみこ)さんは、元々家族で養殖業を営んでいましたが、大震災で仕事も家族も、そして積み上げてきた多くのものも失いました。それでも、支えてくれた全国の皆さんに感謝の気持ちが湧き起こった民子さん。「自分も何かしたい」「漁業と観光のまちである南三陸町の復興には欠かせない浜の活気と笑顔を守りたい」という想いで立ち上がりました。

012年に自身が代表を務めて開業し、以降、地元漁師と連携した旬の海産物や手作業で丁寧につくられた海藻類の乾物を販売しています。

海藻の美味しさを伝えたい

わかめやこんぶなどの海藻は、全国的にも馴染みのある食材。しかし、旬はいつなのか、誰がどのように獲っているのか、あまり知られていません。海藻にも旬があって、栄養素も豊富にあります。人気商品の海藻の乾物シリーズを始めたきっかけは、そんな海藻の美味しさとその作り手の想いを届けたいと思ったからでした。食べ方も、味噌汁やサラダに入れるだけではなく、もっと可能性があることを知って欲しいと、オリジナルレシピの紹介をしています。

海藻を獲るのも命がけ。民子さんは、こうして昔から食べられてきたものを大切に見つめてみることで、先人たちの手仕事からたくさんの知恵や学びを得たといいます。自然と共に守られてきた地域の生業や文化、そして、それらによって成り立つ豊かな暮らしを守りたい、という気持ちを強く持つようになっていきました。「人と人をつなぐ場所である〈わたす日本橋〉で、東北のことやまちのこと、漁業や食材のことを知ってもらえたら嬉しい」と話します。

豊かさを守りながら暮らしを繋ぐ

3年前に、息子さんが地元に帰ってきました。今では息子さんもたみこの海パックの事業を支えています。それまで帰ってきたい素振りがなかったから驚いたという民子さんですが、自分たちの姿を見て、何か感じてくれたものがあったのかもしれないと嬉しそうな表情を見せます。

一方、漁業は大変な仕事。南三陸町の海の豊かさも守りながら、自分たちや次世代の人たちの暮らしも守っていきたいという想いを抱く民子さんは、息子さんたち家族が子育てしやすい環境を守り、時間を大切にしていきたいといいます。県外から来てくれたお嫁さんとお孫さんに囲まれて賑やかになった今、たみこの海パックは、さらなる豊かな恵みを届けてくれることでしょう。

たみこの海パック

〒982-0032 宮城県本吉郡南三陸町 戸倉字長清水9-3
TEL/0226-46-9661
https://www.tamipack.jp